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このところの毎晩の生活のパターンだが、以下のようになっている。
- 7時頃に自宅に戻る。
- 食事のときに、アルコールを飲んでしまう。
- 眠くなり、9時頃には寝床についてしまう。
- 真夜中の2時頃に目がさめる。居間に移動してプログを1つか2つほど更新する。
- 眠くなり、再び寝床につく。
- たいてい、朝に夢を見る。
- 目覚めて床の中で夢の意味を考えたりする。
自分が朝方に見る夢は、だいたいが何かに追われる夢だ。上に上にと逃げてゆく。しかし、墜落することもある。自分はなぜそんな夢を見るのか。本当は「初恋の人と手をつなぎながら、川べりを散歩する」のようなロマンティクな夢を見たいのだが、そんなことはない。
何かに追われて上に上に逃げる夢を見る。これは先祖が、サルの頃に木の上で生活していた頃の記憶が残っているのだろうと自分は考える。
人間はサルの頃の痕跡がたくさん残っている。指紋があるのはサルと人間だけだ。指紋は要は滑り止めである。怖い時に手のひらから汗が出るのは、これまた滑り止めだ。すばやく木に登って敵から逃げるのだ。
恐怖とはサルにとって外敵と遭遇することだ。対応策は一つだけ、木に登って上に上に登るのだ。ピューマみたいな野獣は木登りも得意である。追いつかれないように、上に上に早く早く登ることだ。
必死で登っている時に、たまには木の枝が折れるのであろう。その時は墜落である。万事休す。墜落の恐怖である。
サルの時代の恐怖が、現在の自分にも受け継がれていると考える。普段は自分は人間として脳をコントロールしているからそんな感情を抱くことはない。しかし、朝の、うとうとしている時は、そのコントロールが弱くなる。すると太古の時代、その時代の感情が、意識の奥底に隠れていた原始時代の恐怖が発現するのだ。
職場の庭には大きな木がある。そのそばに自分が近づいても、自分はあんまり登りたいという気持ちにならない。枝下ろしがされて、すらっと伸びているので、手や足をかける場所がないのが理由である。しかし、職場の裏山には、枝が切り落とされていない木がいくつかあって、いろいろと足をかける場所があり、登っていけそうだ。そんな木に登ってみたら、心が安定して、守られていると感じるだろうか。平地を歩く恐怖から逃れられるか。
今日のブログはあんまり頭の中でまだ整理整頓していないことを書いてしまった。しかし、何か大きなテーマに結びつきそうな気もしている。このテーマはもっと追求すべきだ。
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