岐阜の観光地を訪問しよう!

同窓会に出席する。

2016-05-15

昨日は自分の教えたクラスの同窓会が開かれた。招待をいただいたので、ありがたく参加する。写真をたくさん撮ったのだが、ブログに顔写真をアップする人全員からは了承を得てある(あるいは了承を得たような気がする?)。

場所はさいたま新都心にある「ラフレさいたま」で行われた。私が場所が分からないだろうと幹事の一人のMさんが駅の改札側のところまで迎えに来てくれた。Mさんの写真を一枚。30年前の高校生の頃の初々しい面影が残っている。

さて、会場に着くとI君がいた。I君は実は、いま神戸で会社の社長をしている。ベンツを数台持っていてお金にかなりの余裕がある。写真はあいにく目を閉じているのだが、顔は金銭的に余裕のある人特有の温和な顔をしていて、目が澄み切っている。背後にいるのはU君である。

そして、今日はこれから神戸まで高速を経由で帰るという。埼玉から神戸まで高速道路を使うと聞いて驚く!自分は京都と岐阜の往復だけでも疲れ果てているのに、とにかく、I君へは、「お気をつけて」と声をかけておく。

集合写真を何枚か掲載しておく。生徒たちは30年たっても全然変わらない人、激変してわからない人、かなり太ってしまった人、痩せてしまった人、人さまざまである。

 

K君(下の写真左)はむかし浪人していた頃に私に手紙をくれた。その時の手紙に対する私の返信をK君は持ってきてくれた。K君の私への手紙は浪人して人生の悩みや将来の方向性に関する私のアドバイスを求めるものだった。その時のK君の手紙は実は切手が10円ほど足りなくて、配達の郵便屋さんに私が不足分10円を払ったのだ。

私の返信の内容は、切手が10円足りなかったこと、それでその不足分を私が払ったこと、そのことばかりが書いてあった。私から人生の指針ともいうべき内容の手紙を期待していたK君は、変な手紙をもらったので、さぞかし驚いたことと思う。k君が持ってきてくれた私の返信、30年前の手紙だが、自分ながらヘンテコな手紙だと思う。まあ、自分でも何でこんな場違いな手紙を書いたかわからない。K君の広い心でのお許しを願う。

上の写真の右側のU君はH君と一緒に私の田舎まで遊びに来てくれた。そうそう、思い出すのは、30年ほど前、U君がクラス会の幹事をしたことがあった。そしたら、予想以上にみんなが飲み食いして赤字になったので困ったと相談を受けたことがあった。それで5,000円か10,000円を私が財政援助したことがあった。

自分はなぜかお金に関することはよく覚えている。これは貧乏教師を40年以上やってきた人間の宿命なのだろうか。

中央の青い服を着た男性が幹事の一人のI君である。司会をしていただいた。また、横を向いている薄い水色のシャツを着た男性が今回の総幹事をしてくれたT君である。後ろ向きの女性はどなたかな(Sさんかな?)。

なお、Kさんは昨年暮れの同窓会である同級生と知り合って電撃結婚したそうである。きょうの彼女はそれで「とても幸せ」とのろけていた。きょうのこの同窓会でも独身の男女の間で、もしかしたら、二組ぐらいカップリングが成立するかもしれない。既婚者の間で成立したら、これは大問題だ。

最後に皆さんから額縁(木製と電子版)をプレゼントにいただいた。恐縮の至りである。教師冥利につきるとはこのことであろう。大事に一生の宝にしたい。

さて、その後は2次会へと会場を移動する。私は帰りの新幹線の関係で1時間ほどで退席したが、これまた話が盛り上がってよかった。皆さんの写真を右横、右前、左前、左横と私の周りを順番に撮影した。焦点がぼやけている写真もあるが、その点はご容赦願いたい。


幹事の仕事をしてくれたT君、I君、Mさん、Aさん、Yさん、どうもありがとう。おかげでとても楽しい日を過ごすことができました。そして、全員のみなさんへ、またいつの日にかお会いしましょう。