美濃の和紙

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歴史

美濃の和紙で古来から有名である。その起こりは奈良時代にまでさかのぼる。仏教の普及により、写経が盛んになった。その写経用の紙(経紙)に美濃紙が使われた。正倉院文書の中に美濃経紙(みのきょうし)がある。平安時代に製紙業がいっそう発達する。美濃紙(みのがみ)という言葉は、一般に書院紙、つまり障子紙を指した。書院造りが広まり、生活の中に、障子戸が普及してくると美濃紙の需要が増えてくる。

中世の日記には、美濃紙に関する記事がおびただしく出てくる。多くは、贈答に関する記事である。美濃から京に上る者、都へ帰る者は美濃紙を土産にしている。それだけ、美濃紙の品質がよかったからである。さらには、岐阜和傘、岐阜提灯(ぎふぢょうちん)、障子、灯籠、包み紙などに使われた。明治時代は製紙業が激増した。現在では、零細経営の和紙職人の手によって生産されているが、その数が減り、深刻な後継者難に陥っている。

なお、岐阜和傘の発祥は江戸時代、加納藩の水害による藩の財政難や下級武士の生活難の救済を目的として、和傘作りを内職として奨励したことが、現在の岐阜和傘の基礎となっている。

美濃和紙の里会館

美濃和紙の里会館では、美濃の和紙の製造の概要が分かる展示がされている。紙すきなどの体験もできる。一階の販売コーナーには美濃和紙で作られた製品が販売されている。便せん、封筒、傘、草鞋などがある。

美濃和紙の里会館

和紙で作成した草鞋

楮(こうぞ)

原材料は楮である。楮の皮の繊維は長くて互いに絡み合う性質が強く、その紙は粘りが強く揉んでも丈夫な紙となる。山間地の傾斜地に栽培されることが多い。しかし、シカによる食害などが問題となっている。美濃では和紙の原料を他から購入して生産していたため、様々な原料を使用して製紙が行われ、必然的に製紙技術が向上した。しかし、原料を購入し、完成した和紙を販売する紙問屋に強く依存するために、生産者にとって不利益な経済体制となった。

美濃は紙の原料である楮(こうぞ)を生産している。現在では、高知県本山町・いの町、茨城県大子町(那須こうぞ)・常陸大宮市などが主な産地である。外国からも輸入されており、タイや中国、パラグアイなどから仕入れている。現在は、原料の楮の半分以上が外国からの輸入品である。

美濃和紙あかりアート館

「美濃和紙あかりアート館」では、美濃和紙を現代の芸術品として、表現しようとしている。館内は暗くて、明かりが映えるようになっている。幻想的な雰囲気は美濃和紙の持つ幻想性を追求している。

明かり

旧今井住宅・美濃資料館

旧今井住宅・美濃資料館は江戸時代の和紙問屋であり、江戸時代の商家の様子が分かる。町箪笥、帳机、火鉢、土蔵がある。中庭では、環境庁認定の日本の音、風景百選となっている水琴窟(すいきんくつ)を聴くことができる。

商家の座敷

ひしゃくで水を汲んで中央の黒い石にかけると鈴のような音がする。

うだつのあがる町並み

この町並みでは、屋根にとりつけた「うだつ」が見える。本来は、防火壁としての役割であったが、やがて富の象徴となり、豪商達が競って粋を競うようになった。富が蓄えられなくて、屋根に「うだつ」を取り付けられない人は、「うだつが上がらない」と言われる。

右上に見えるのが「うだつ」

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