関ヶ原の古戦場
有名な関ヶ原に行ってみましょう。JR関ヶ原の駅を降りたら10分ほど山側に向かって歩きます。
石田三成の陣地があった笹山があります。そこから石田三成は戦いの様子を見下ろしたのです。小早川秋成の軍勢が裏切って自軍に襲いかかる姿をどのような気持ちで見たでしょうか。そんな歴史的なイベントを思い出しながら見ると興味深いものです。
今から400年ほど前に起こった関ヶ原での戦いが、その後の日本の歴史を大きくします。もしも、あのときに西軍が勝っていたら歴史はどのように変わったでしょうか。日本の行く末を定めたのです。この戦いが終わったあとは、大阪冬の陣、夏の陣と続いて、そののちに、江戸幕府の成立へと歴史の流れは一挙に加速します。
不破の関
不破の関は、壬申の乱で有名です。大海人皇子と大友皇子の戦いの跡なのです。ここにある歴史資料館でその概要を探ってみましょう。
天智天皇の死後、弟の大海人皇子と息子の大友皇子が政権を巡って争います。叔父と甥の戦いだったわけです。この戦いは、大海人皇子の勝利で終わります。
この地に立って、そんな昔のことを思い起こすのもいいでしょう。
大垣市
大垣市には、大垣城があります。大垣城は石田三成が一時立てこもり、東軍を迎え撃とうとしたのです。しかし、かれは結局は関ヶ原で東軍を迎えうとうと決めます。
大垣市は水の都として有名です。町の至る所に運河があります。岐阜県自体が水の県であると言ってもいいかもしれません。
文学の香りの地域
松尾芭蕉がこの地を好んだのです。江戸の深川を出発してから、奥の細道を紀行したのです。そして最後は大垣にもどり、奥の細道の紀行は終了したのです。奥の細道は放浪の旅によく出かける日本人の原型を見ることができます。
大垣には、彼が詠んだ「蛤のふたみに分かれて行くあきぞ」の句碑があります。ここで、奥の細道の旅は終わったのです。
当時と比べて、今は格段に旅行が便利になりました。
岐阜市の川原町公園にも松尾芭蕉の句が刻まれた石碑があります。これらの句を眺めて、皆さんも一句ひねってみたらどうでしょうか。