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大垣城はあまり大きな城ではない。また、平地にある城(平城)なので、その偉容に人が圧倒されるということもない。しかし、何となくさわやかな印象を与える城でもある。白い外壁、四重のこぢんまりとした本丸は何となく親しみを感じる。
上記の写真の右側に入り口がある。入場料は100円である。近くの郷土館の入場料と一緒に購入すると、150円である。中は板の床である。ぴかぴかしてまだ新しい。
中に入ると、それぞれ展示物がある。ここは自由に写真を撮っていいようだ。撮影禁止が多い中、これは有難い。鎧や刀や弓などを写真に撮る。弓を触れる。自分で弓を引いてみたが、かなり固い。しかし、自分でも何とか射ることのできるだけのしなやかさはある。
火縄銃も近くで見る。火縄銃の撃ち方が掲示してあったが、なるほど簡単な操作でできそうだ。横に槍が展示されていた。それで槍も触ってみることができる。思ったほど重たくはない。つわものどもがこれらの槍をかざして戦った昔を想像する。
大垣城は四重の城だ。天守閣まで登る。市内が見渡せる。小さな町の小さなお城、そこから見ると、人々は静かに暮らしている。
美濃は水の国であり、大垣は水の都としてよく知られていた。大垣城も今は簡単にアクセスできるが、昔は幾重にも堀に囲まれていて、大垣城を攻めるとなると、苦戦をしたのではと思う。なお、関ヶ原の戦いだが、当初はこの大垣城が東西両軍の戦いの場と想定されたという。石田三成は何故かここを決戦場として選ばずに、関ヶ原を選んだのだ。
大垣市内を、車で移動して観察した感じでは、市内至る所に運河が巡らされているとか、水量の多い川があるというわけではない。水の都と言われたのは、昔のことであろう。今では、ほとんどの運河が埋められたようだ。
戦国時代から江戸時代は、あるいはもっと昔から、物の運送は運河を利用したであろうから、産業の栄えた都市ほど運河交通が発達している。しかし、現代の大垣市にその痕跡を探すことは難しい。